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2008年2月26日 (火)

検診後の楽しみ

日帰りだとなかなか時間が合わず、食べることが難しい『ピープルピープ』というお店のパフェ。開店時間がアイスクリームの仕込み時間に左右されるので、行って見なければ開店時間が分からないのです。

このお店のパフェはホント美味しい。アイスクリームが美味しいからなんでしょうね。甘すぎず、しつこすぎず、口あたりがサッパリ。甘くて濃厚なパフェとはちょっと違うのです。リピーターが多いのも納得です。写真撮ろうと思ったのですが、なんとなく秘密にしておきたい気分なのでやめておきました(笑) お店は小さく、気が付かないで素通りしてしまいそうになりますが、ジャズが流れていて色んな意味で味のあるお店です。

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2008年2月24日 (日)

定期健診(術後2年と1ヶ月)

疲れました(´Д`;)ヾ

函館に帰る時、運悪く猛吹雪とぶつかりまして・・・嫁の飛行機は欠航、JRは1時間40分遅れ。帰宅したのは夜中1時でした。前の晩は、嫁の会社の宴会に強制連行されたり、それはもう波乱万丈な定期健診となりましたよ・・・

さて、定期健診の結果です。最近若干大きくなったと思われるシコリ(のような物)ですが、今回も無事エコー検査を通過。主治医の触診でも大丈夫とのことでした。明らかに大きくなったりした場合は、次回の検査を待たずに来て下さいとのことでしたが、『明らかに』とはどの程度のことを指すのか分かりませんな・・・まぁ、余程の異変が起きない限り行くことはないと思いますけどね。

今回はもう一つ主治医に聞いてみました。

アタクシ:先生、たまに信じられないくらい締付けが強い時があるのですが・・・

主治医:そうですか・・・んー・・・気休めですが湿布出しましょうか?

アタクシ:マッサージとか受けても大丈夫ですかね?

主治医:マッサージですか?うーん(しばし考え込む)

アタクシ:もう肩とかガチガチになって、動かすのも大変なんですよ。

主治医:肩や腕はマッサージしても大丈夫ですが・・・

アタクシ:はい。

主治医:やはり頚部のマッサージはダメですね。

アタクシ:それは、リンパ節の関係ですか?

主治医:そうです。Galdaさんの場合、頚部のリンパに広がっていましたし、まだ残っている可能性も否定できません。ですから、触らず、刺激を与えずにしておいた方が良いと思いますよ。

アタクシ:マッサージで癌細胞が広がるということですか?

主治医:いえ、わざわざ危ない箇所に刺激を与えることはないと言うことです。

アタクシ:そうですよね・・・

ということで、腕と肩のマッサージは良いとのことでしたので、我慢できないくらい酷い時は考えようかな(´_ゝ`) 次回は7/4検査の予定です。やはり4ヶ月ペースは変わらずでした。激動の『ススキノパフェ編』は後日(笑)

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2008年2月20日 (水)

ハンターのつぶやき

久々に測量ネタでも。

測量士は山での仕事が多いのです。三角点の踏査であったり、地形測量であったり、国有林調査であったり、とにかく山に登ることが多いのです。とくにアタクシの場合、一年の半分は山に登っていたのではないでしょうか(笑)

山と言っても色々な山があります。函館山のように観光や散策で登れるような山、ある程度の装備が必要な山。アタクシ達が仕事で登る山は、ほとんどが後者であります。腰に鉈を下げ、発炎筒を持ち、鈴や爆竹を鳴らしながら登山するのです。山にはお会いしたくない獣さんが住んでおりまして、なるべく会わないよう、こちらも色々と気を使っているのですよ。

アタクシ達の気遣いでも危険と思われる場合、もしくは確実にいらしゃると思われる山に登らなければならない場合、そんな時アタクシ達はハンターを雇います。官公庁に害獣駆除の申請をし、猟友会を通してハンターを雇うわけです。色々なハンターとお会いし、一緒に仕事をしましたが、アタクシが心から頼れると思ったハンターは2人だけです。一人はYさん、もう一人はKさん、2人ともハンター歴が長いベテランです。中でもYさんはNHKで特集を組まれたこともあるハンターでして、過去に仕留めた熊は60頭を超えています。ハンターというより、昔からのマタギですね。

そんなYさんと三角点の踏査をしていました。麓から徒歩で登り始め、2時間ほど経過した頃でしょうか。頂上まで30分くらいとなったところで、熊の足跡を見つけました。足跡自体はよく見るのでどうってことはないのですが、今回の足跡はかなりデカイ・・・アタクシも今まで見たことのないようなデカサだったのですよ。足跡から推測すると、おそらく2.5mは超えるくらいの大きさはあるはず。しかも、火山灰にクッキリと足跡が残っているということは、そこを通ってからそんなに時間が経過していないということなのです。更に、その足跡はアタクシ達がこれから向かう方へ点々とついていました。

しかし、今日はハンター同伴!しかもベテランの頼れるYさん!何も恐れることはない!さぁ行くぞぉおおお!気合入れてYさんに行きましょうと言うと・・・

Yさん:この鉄砲じゃ無理かもしれん・・・・・・

一同:(°O° ;)!!

もう、すっかり意気消沈です(笑) Yさん曰く、この山で大きい熊を見たことがなかった。だから重いライフルではなく、軽い散弾銃(弾は熊撃用散弾)を持ってきたとのこと。頂上まで30分の地点まで来ているが、もうこれ以上は・・・・・とりあえず、安全を優先してその日は下山しました。しかし、Yさんさえも怯えさせる熊とは・・・見たいような見たくないような・・・

ちなみに、アタクシの独断と偏見から良いハンターの見分け方を。ベテランのハンターは列の後ろを歩きます。なぜなら、熊さんは人が歩いた後ろに出ることが多いからです。アタクシも7回遭遇しておりますが、6回は後ろからでした。だから、ベテランは前を歩かずに後ろをついてくるのです。

次回は正面から遭遇した時のお話でも(笑)

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2008年2月19日 (火)

今年の試験日程

現役を離れたとは言え、腐っても測量士なアタクシ。いつ何があるのかわからないので、GSIのホームページ、業界の動向、最新測量機器なんかを時々チェックしております。GSIのホームページに、今年の測量士補、測量士の国家試験日程が載っておりました。

今年の試験日程を見る(国土地理院HPより)

どんな問題が出るかと言いますと、測量士補でこのような感じです。

平成17年度 測量士補試験問題

アタクシは2問間違えてしまいました・・・・・・測量士失格でしょうか(笑) このように専門的な知識も必要ではありますが、数学に自信のある方は挑戦してみても面白いかと思います。最小二乗法、三角関数、微分積分に自信のある方はぜひどうぞ!ちなみに、測量士だと更に専門的になりまして、難易度が上がります。

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2008年2月16日 (土)

某図書館にて

某図書館での会話。

わし:明治元年~4年くらいまでの古地図を閲覧したいのですが。

図書館の人:その時代の物ですと、お出しできる物とできない物があります。

わし:総覧を見てから申請したいのですが。

図書館の人:はい、総覧はこちらになります。

わし:トレースなんか無理ですよね?

図書館の人:申し訳ありませんがトレースはできません。

わし:地番改正調書もあれば、一緒に閲覧したいのですが。

図書館の人:改正調書はここにありますが、明治時代からのものは・・・

なんてことを話したのですが、この図書館の人、聞かれた事に対ししっかりと返答してくれます。どこに何があるか把握しており、資料以外の物に対しても勉強しているようで即答してくるのです。感動しましたよ・・・

あ、ちょっとまってください・・・

えーとですね・・・ちょっとまってください・・・

今、詳しいものを連れて来ます・・・

↑こんな対応が最近多かったので、久々に気分良く資料収集ができました。

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2008年2月13日 (水)

WhiteOut

高速道路を走行中にホワイトアウト。

事故るかと思ったヽ(;´Д`)ノ

対処法を心得てるとはいえ、今回のはかなり怖かった。自分の車のボンネットすら見えなくなったのは久々でしたよ。

以前、道央自動車道を走行中のこと。江別ー岩見沢間で猛吹雪に襲われたことがあります。時々ホワイトアウト状態になりますが、高速道路上で止まるわけにもいかず、ハザードを出しながら路肩を徐行しておりました。

すると突然右前方にパトランプが!

13台の玉突き事故現場でした。本線が事故車で完全に塞がれていて、パトカーが最後尾に停車して事故検分していたようです。本線を走っていたら・・・と思うとゾッとしましたね。

今回もホワイトアウトになった時点で減速し、路肩に車を寄せ徐行。側壁に沿って走行し、窓を少し開けて前後から走行音が聞こえないか確めながら走りました。ラリーで走るより疲れますね・・・

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2008年2月11日 (月)

WRC第2戦スウェディッシュ終了

まだ、Day3の詳細がわからないのですが結果はこちら。

FiA公式HPから結果を見る

今年のスウェディッシュは気温が高く、路面もシャーベット、ウエットダート状になっている所が多かったようですね。そんな難しいコンディションの中、優勝したのはヤリマティ・ラトバラ選手。Day1でマージンをたっぷりと稼ぎ、あとは後続を見ながらペース配分をしていたようです。走行順位にも助けられたとは思いますが、優勝するには運だけではどうにもならないのがWRC。速さが伴わなければ女神も微笑んではくれないのです。おめでとう!ラトバラ選手!

2位はミッコ・ヒルボネン選手。モンテに続いての2位獲得でポイントを16としました。Day1で1位との差が付きすぎた為、Day2でリスキーな走りはしなかったようです。

3位はジジ・ガリ選手。2戦目にしてポディウムに上がってきました!Day1からジワジワと順位を上げたものの、2位との差は大きすぎたようです。Day2中盤でPソルベルグ選手に追い上げられたものの、3位キープでフィニッシュ。

さて、残念だったのはシトロエンの2台。ローブ選手はSS4でクラッシュ。ソルド選手は5分のペナルティを背負ってのスタート。day2では、どちらもプッシュしまくったのですが・・・ローブ選手はSS12でリタイア、ソルド選手は6位まで順位を上げました。ソルド選手はモンテで0Pでしたので、今回は1Pでも獲りたかったようです。

S・ローブ選手SS4転倒映像を見る(YouTube)

SUZUKIの2台は、PGアンダーソン選手がSS3でSC。T・ガルデマイスター選手が7位でフィニッシュでした。モンテではエンジンパワーが足りないとの事でしたが、一つ一つ問題を解決して、シリーズ後半には上位争いに加わって欲しいですね。頑張れSUZUKI!

プライベーターで大活躍だったのがオステベルグ選手。インプレッサのWRカーに乗り、一時はワークスの2台を凌ぐ速さを見せていました。結果は9位で、モンテのコークス選手のようにはなりませんでした。来年辺りはどこかのワークスにいそうな気がしますね。なんか、故コリン・マクレー選手の走りを最初に見たときのような衝撃を受けました。彼ほど派手ではないようですが。

スウェディッシュラリーの映像その1(YouTube)

スウェディッシュラリーの映像その2(YouTube)

スウェディッシュラリ-の映像その3(YouTube)

PWRCについては情報が少ないので後日にでも。

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2008年2月10日 (日)

なぜ走るのか

【SUM41】で検索してたら、こんな動画を見つけてしまいました。

SUM41Noreason+WRC映像(YouTube)

これ聞きながら、この映像はマズイですね・・・・血が騒ぎます(笑) それにしてもWRCドライバーは本当に凄い。もう人間業じゃないですよこれは。ターマック(舗装路面)はもちろん、グラベル(未舗装)、スノー(雪)でも常に全開走行。車がどんなに壊れようと、推進力が無くならない限り諦めずに走り続けます。一回のステージにプロの誇りと、自身の命を賭して闘っているのがよく分かります。ちなみに、動画の途中と最後に360℃ターンをするプジョーが映っております。これはミスをしてリカバリーしたのではなく、2位に1分30秒の差をつけたジル・パニッツイ選手が、SSの最中にパフォーマンスでやったものです。2002年カタロニア第3Leg最終SSの出来事。後にも先にも、こんなアホなパフォーマンをやったのは彼だけです(笑)さすがパニやん!俺は好きだ!

そういや、大昔に知人からこう言われた事があったな・・・WRCの映像を見ながら会話していたら、

知人:なんで走るの?

わし:そりゃあ、この人は金貰って契約してるプロだもの。

知人:いや、この人達じゃなくて、お前だよ。

わし:え?(°O° ;)

言葉に詰まりました(笑) プロになるわけでもなく、時間と資源を浪費して走る事に何の意味があるのか?知人には疑問だったらしい。モータースポーツを実際にやった方、やっている方なら、言葉にしなくても分かってくれると思いますけどね。それを言葉にして説明するのは難しい('Д')

自分の意のままに車をコントロールした時の達成感

自分の運転技術向上のための探究心

他人に負けたくないという闘争心

この3つの為でしょうかね、アタクシが走ってた理由は。自己満足の世界?って言われたら返す言葉も無いのですよ(´_ゝ`)

おまけ WRCドライバーの超絶テク

神岡ターン(YouTube)

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2008年2月 9日 (土)

格差社会

2月の月末に札幌で定期健診があります。夏は車で行くようにしているのですが、冬場は運転が大変なのでJRを使います。割引キップを使って往復1万円、片道3時間40分で移動します。今回もJRを使って札幌まで行くのですが、なんと!同じ日に嫁さんが札幌で会議があるとのこと。

わし:JRのキップ、わしの分と一緒に買って来ようか?

嫁:いらなーい(*'-')

わし:へ?

嫁:飛行機で行くからいいよ(*'-')v

わし:な、なんだっt (;゜0゜)

飛行機だと片道40分、値段はJRの約3倍・・・格差社会がいよいよ家庭内にまで!!って、経費で落ちるなら誰でもそうしますよね・・・40分は楽でいいのぉ・・・

まぁ、せっかく2人で行くことになったから、札幌で一泊してきますか!ということで、早速ススキノのど真ん中のホテルを予約。これで、去年の10月に食いそびれたパフェを食えますよ・・・ウヒャヒャヒャ。待ってろよピープルピープ!

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2008年2月 8日 (金)

誤字?

知人から

知人:『ブログに書いてる新選組って字さぁ・・・』

わし:『ん?』

知人:『パソコンで変換すると、【撰】って字にならね?』

わし:『なるねぇ』

知人:『【選】と【撰】どっちが正解?』

わし:『どっちでもいいんじゃね?wwwwww』

知人:『じゃ、なんで変換で出てこない方わざわざ使ってるのさwwwwww』

わし:『そもそもだな、会津の軍制を記録した【しぐれ草子】という文献の中に出てくr・・・』

知人:『ちょwwwwwwそんな難しいこと言われてもわからんwwwwww』

わし:『じゃ勝手に好きな方使えwwwwww』

と、VIPER会話でアホみたいですが、【撰】と【選】どちらが正しいかアタクシにもわかりません(´_ゝ`)。古い資料では、どちらの字も使われていますしね。アタクシが【選】を使う理由は2つ。

一つは元冶元年5月に近藤勇が故郷に送った手紙に【新選組】の印が押されているからです。まぁ局長自身、どちらの字も使っているんですけどね(笑) もう一つは『八月十八日の政変に出動し、働きを評価され【新選組】の隊名を拝命した』と、島田魁が残しているからです。あくまでもアタクシ個人のコダワリであります('◇')ゞ

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2008年2月 3日 (日)

イルミネーション

先日、ちょっとしたイベントで元町付近を歩いてきました。

今、元町付近は『冬フェスティバル』で、道路のイルミネーションや代表的な建物がライトアップされています。雪がチラチラと降ると、なかなか綺麗なのですよ。

Ca390107

↑夕暮れの八幡坂

Ca390110

んー・・・夕暮れの方が綺麗な気がする(´・ω・`) さすがに陽が落ちるとアチコチ凍結して、とてもデンジャラスになります。凍結路面に自信のない方は、靴用のスパイクを装着するか、片方の足だけに縄を巻くなりして、しっかりと対策しましょう。滑ったら海までいきますよ(笑)(車道はロードヒーティングです)

Ca390108

↑旧函館区公会堂です。ハート型のイルミネーションがあります。このイルミネーションを男女で見ると、相思相愛の仲になる・・・・・・なんて話は聞いたことありません(`・ω・´)

Ca390109

↑公会堂の色とライットアップが合いますね。昼間より夜のが映えて見えますね。ただ、夜だと中には入れないけどね。

Ca390112

↑ハリストス正教会と聖ヨハネ教会。夜だと幻想的ですね。

Ca390114

↑カトリック元町教会。おー!昼間より断然綺麗だ!なんか厳かな気持ちになりますね。

Ca390117

最後は吹雪の中、函館山山頂から一枚(笑)まだ夜景がうっすらと見えてるだけいいか。山頂は寒くてとんでもない事になってましたが、なかなか面白かったですよ。冬の函館山も良いですね。

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2008年2月 2日 (土)

箱館の新選組④

残るは6人ですね。

●本田岩吉(ほんだ いわきち) 慶応3年6月~12月までに入隊

箱館新選組での所属は『第2番隊隊士』。鳥羽伏見から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。弁天台場で降伏後、青森県弘前の薬王院で謹慎。赦免後の消息は不明。

●松沢乙造(まつざわ おとぞう) 慶応3年6月~12月までに入隊

箱館での所属は土方所属。鳥羽伏見から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。箱館総攻撃の前に脱走したと言われている。

●安富才輔(やすとみ さいすけ) 元冶元年9月~10月頃に入隊

箱館では陸軍奉行添役。鳥羽伏見から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。安富才輔も箱館では新選組本体と離れた行動をしている。土方戦死の悲報を逸早く知り、立川主税に戦死報告の書簡を持たせ箱館を脱出するように命じた。自身は五稜郭で降伏し謹慎となる。赦免後は、東京で元御陵衛士の阿倍十郎に殺されたと言われているが、詳細は不明。

●山野八十八(やまの やそはち) 文久3年春に入隊と判断する。

箱館新選組での所属は不明。鳥羽伏見から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。弁天台場降伏名簿に名前はなく、横倉甚五郎の『元新選組連名』には『箱館エ残ル』と書かれている。しかし、当時の状況から判断すれば、元新選組隊士が箱館に残り、素性を隠したままでいるのは困難ではないだろうか。おそらく箱館総攻撃の前に脱走したと思われる。晩年は京都で娘の世話を受け、隠居生活を送ったという。

●横倉甚五郎(よこくら じんごろう) 元冶元年10月に入隊。

箱館新選組での所属は『第4番隊嚮導役』。鳥羽伏見から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。弁天台場で降伏後、青森県弘前の薬王院で謹慎。他の隊士が赦免される中、横倉は東京へと送られる。相馬主計、大石鍬次郎らの元新選組隊士らと共に、坂本龍馬殺害と新選組との関わりを認めるよう責めらる。後に、京都見回組の今井信朗が自白したことにより、新選組の関与は否定されたが、その時点で既に相馬主計は流罪で新島に、大石鍬次郎は斬首、そして横倉は最後まで関わりを否定して獄中で病死した。(斬首との説もあり)

●吉田万吉(よしだ まんきち) 慶応3年6月~12月までに入隊

箱館新選組での所属は『第2番隊士』。鳥羽伏見から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。弁天台場で降伏後、青森県弘前の薬王院で謹慎。赦免後の消息は不明。

以上26名が京都から箱館まで戦い抜いた隊士なのです。誠の旗の下、彼らは何を想い戦い続けたのでしょうか。義の為でしょうか、それとも他の理由で戦っていたのでしょうか。いずれにせよ、その道のりは辛く険しいものだったでしょう。北の防人となるべく渡航し、夢叶わず散華した隊士、生き残り、歴史の生き証人となった隊士、戦いの終わり方は違えど、彼らは最後まで武士として恥じない生き方をしたと私は思います。

●土方歳三(ひじかた としぞう) 新選組創始者

箱館では陸軍奉行並箱館市中取締兼海陸軍裁判局頭取。言わずと知れた新選組副長である。土方歳三については、私がここで紹介するまでもないと思う。最後まで自分を律し、士道を貫き通し散華した立派な武士である。

たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらむ

最後に土方歳三を加えた27名として〆たいと思います。

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2008年2月 1日 (金)

箱館の新選組③

では、昨日の続きから。

●相馬主計(そうま かずえ) 慶応3年10月(文久3年説もあり)入隊

最後の新選組隊長。鳥羽伏見から奥州平潟まで転戦し、蝦夷に渡航。箱館で土方と再会後は、陸軍奉行添役として永井玄蕃と共に箱館市中の警備にあたった。新選組隊長に任命されたのは5月15日。弁天台場降伏の日に隊長に任命されたのである。これは敗戦処理の為としか思えない。敗戦後、相馬は他の隊士と同じ扱いを受けることはなく、幹部として東京で取り調べと裁きを受けることになった。一年の取調べの後、新島に流罪とされた。2年の流人生活の後、明治5年10月に赦免された相馬だが、東京に戻ると割腹して果てた。理由等は一切不明である。(殺害されたとの説もあり)

●立川主税(たちかわ ちから) 慶応3年6月~12月までに入隊

箱館新選組での所属は『土方付属』。鳥羽伏見から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。土方歳三が戦死した翌日、安富才介の命により箱館脱出を図る。日野の佐藤家に手紙と追悼句を届ける為に。しかし、新政府軍に包囲された箱館からの脱出はならず、捕えられて秋田藩の預かりとなってしまった。明治5年に赦免され、その年に日野の佐藤家を訪ねている。その後は僧侶となり69歳まで生きた。生涯、土方を弔ったと言われている。

●玉置良蔵(たまき りょうぞう) 慶応3年6月~12月までに入隊

箱館新選組での所属は『土方付属』。鳥羽伏見から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。箱館総攻撃の前に病死したとされている。

●田村一郎(たむら いちろう) 慶応元年5月に入隊

箱館新選組での所属は『第3番隊士』。鳥羽伏見から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。弁天台場で降伏後、青森県弘前の薬王院で謹慎。赦免後の消息は不明。

●田村銀之助(たむら ぎんのすけ) 慶応3年10月に入隊

箱館での所属は『総裁付』。僅か11歳で新選組に入隊。他の隊士同様、鳥羽伏見から会津まで転戦するが、実戦には参加していなかった言われている。蝦夷に渡航後は榎本武揚総裁付となる。箱館総攻撃前に榎本武揚に脱出するよう諭されたが断固拒否し、五稜郭降伏まで籠城した。降伏後は弁天台場で降伏した隊士同様、青森県弘前の薬王院で謹慎。赦免後は西南戦争に参加したり、黒田清盛に同行して北海道を再訪したりしている。大正15年に亡くなった。

●田村録四郎(たむら ろくしろう) 慶応3年6月~12月までに入隊

箱館での所属は不明。鳥羽伏見から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。弁天台場で降伏後は、青森県弘前の薬王院で謹慎。ちなみに、今回記述した田村姓の3人は兄弟である。長兄が一郎で、録四郎は次男になる。

●中島登(なかじま のぼり) 元冶元年10月に入隊。

箱館での所属は『第2番隊嚮導役』。中島登が京都以来の隊士であるのか?と言われれば書くことを控えるのが賢明なのかも知れない。元冶元年入隊しているが、京都での活動の記録は一切ない。中島登本人曰く、近藤勇より関東の情報収集を頼まれ、関東に潜伏していたという。このことから、新選組と行動を共にしたのは鳥羽伏見以降と考えられる。京都以来の隊士という言葉括れば中島は外れてしまうが、入隊時期も早く、戦友姿絵や覚書を残している功績からも、隊士として書くことにした。関東から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。弁天台場で降伏後、青森県弘前の薬王院で謹慎。赦免後は静岡で余生を送った。

●中山重蔵(なかやま じゅうぞう) 慶応元年5に入隊

箱館新選組での所属は『第3番隊士』。鳥羽伏見から関東まで転戦し、関東以降の行動は不明だが蝦夷に渡航している。弁天台場で降伏後、青森県弘前の薬王院で謹慎したと思われるが記録は残っていない。

●長島五郎作(ながしま ごろうさく) 慶応3年6月~12月までに入隊

箱館では土方所属。鳥羽伏見から会津まで転戦し、蝦夷に渡航。箱館総攻撃時に戦死した。

●野村利三郎(のむら りさぶろう) 慶応3年6月頃に入隊

箱館では陸軍奉行添役。狙撃された近藤勇に付き従い、大阪から江戸に下ったとされているために、鳥羽伏見で戦っていないと思われる。流山で近藤勇の最後を見届けてから仙台まで転戦し、蝦夷に渡航。江差で旗艦海陽丸を失った旧幕府軍は、新政府軍の新鋭艦『甲鉄』奪取を計画。宮古湾でアボルタージュ(接舷攻撃)を実行した際、甲鉄甲板上で戦死したとされる。(移艦に失敗、落水して捕らわれ斬首との説もある)

ふ~・・・今日も10人で力尽きました(´・ω・`) あと6人は後日に

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